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2月も10日を過ぎると、そろそろバレンタインデー、と言うことで今日は贈り物について語ってみようと思います。
「2月」に「贈り物」と聞くと、昔々60年くらい前の出来事を思い出します。私がまだ小学3年生くらいのころでした。何かの拍子で両親の結婚記念日が2月17日(27日?)だということを知り、プレゼントを贈ったのですが、なにせ小学校の低学年ですから、お小遣いもあまりなく、買う場所も学校の近くにある文房具や駄菓子を売っているところくらいしか一人で買い物に行けません。何を買おうか迷った挙句、結婚記念日が何かわからず、なぜか鉛筆とノートを20円くらいで買って、両親にあげました。そうすると、両親が満面の笑顔で喜んでくれて、子供心にすごくうれしかったことを覚えています。今思えば、両親は大人ですから鉛筆もノートも使わないし、必要なものでもないですが、子供にもらったこと、それだけで嬉しかったのでしょう。当たり前のことですが、贈り物は物自体より、心が大事ですね。
さて、そう考えるとバレンタインデーの、「とりあえず、贈っとこか・・」と言う”ギリギリ(義理義理)”と音のするような贈り物は、いかがなものでしょうか?「いやいや、ちゃんと本命の人にメッセージを添えて贈ります。」と言う人もいないことはないでしょうが、昔のように携帯電話も何もない時代とは異なり、今はメールやラインで好きな時に好きなことを伝えれる時代です。いつまでもチョコレート屋界わい(最近の若者言葉では”界わい”をいろいろなケースで使っている。)に踊らされて、バカ高いチョコレートを贈る必要はないですね。(と、最近めっきりチョコをもらわなくなったオッサンの負け惜しみですが・・)
さあ、贈り物の話を続けます。私が社会人になって初めて就いた部署は、商品部と言ってカタログに載せる商品を決めて、その商品を仕入れる部署でした。入った時の年齢は23歳で、一応見習の時期を経て、自分で決定できる権限をもらったのが、約半年後(えらい早い!)当時は人が少なく、ちょっと先輩について仕事をすると、「これからは、自分で全部やってね。」と、あっさり仕事を丸投げされる(もとい、任せてもらえる。)いい時代でもありました。そうして、100社近い取引先と丁々発止、商品決定や価格決め、注文などをやっていると、年末になりお歳暮のシーズンです。それまでお歳暮とかお中元とかが、世の中にあることすら、あまり知らずに生きてきてましたから、私宛に取引先から5個くらいのお歳暮が届いたときには、びっくりしました。中身は定番のハムや飲み物、各取引先の商品もあり、「何やこれ?」と思いましたが、正月の帰省で実家に持って帰ると、両親も普通に喜んで、去年まで貧乏学生で、日々食べるもの苦労していた身分からすると、正直言って「俺も偉くなったもんや。」と勘違いしていました。その後、2年過ぎ、3年過ぎると、だんだんその数が増えてきて、ある年などは物流のパレット一杯になるくらいの私宛のお歳暮、2~30個くらいはあったと思います。周りには、私宛だけでなく他の商品部の人にも、さらに、その年に入った新卒の人間にも普通に贈り物が届く、「待てよ、たまたま商品を決めて仕入れをする仕事をしてるだけで、実際に自分が売ってるわけでもなければ、もちろん自分の金で仕入れてるのでもないし、これでいんやろか?」ようやく、そのことに疑問を持ち、しばらく悶々としていましたが、28歳で部長になったころのある会議でこらえきれずに「これからは、取引先からの贈り物は、禁止にしませんか? たまたま取引先と接している仕事をしているだけで個人が贈り物をもらうのはおかしい。虚礼廃止です。」と言ってしまいました。内心「言うてもた・・・」それまで実家の両親も喜んでくれていたし、周りの上司や先輩も何も言わないし、一瞬言ったことに後悔しましたが、もう後には引けません。「会社として統一して禁止にすべき、さらに取引先からの接待も禁止、公明正大、健全な取引をすべきです。」と言うようなことを言ったと思います。その場では、正面切っての反対はなかったのですが、その後しばらく、一部の先輩や周りの人からは、「お前、ええかっこして何言うんや。」みたいなことは結構ありました。しかし、多くの人は「その通り。」と言って応援してくれました。結局、「何が正しくて何が間違いか?」は、大半の人においては同じ基準です。ただ、「今までやってたから。」「誰も言わないから。」そのままになっているだけなのです。もし、何か間違っている、と言うことに気づいたら、声を上げてみることですね。そのことが正しければ、思った以上の応援が得られると思います。
そうこうしている内に29歳で役員になったので、役員会で正式に提案し、「全社、全部署、取引先からの接待や贈り物は原則禁止、虚礼廃止」が決まりました。それ以降、会社に届いたお中元やお歳暮などは、「虚礼廃止を実行するために申し訳ありませんが、お返しさせていただきます。」と説明を添えて、送り返すように徹底しました。最初の内は、それでも数多くの品物が各担当者あてに来ていましたが、毎回手紙と共に送り返す内に、数年すると、一切どこからも誰宛にも来なくなりました。現在では、多くの会社で取引先からの接待や個人あての贈り物など、当たり前のように禁止のところが多いですが、40年ほど前は贈るのが常識、もらうのが常識でしたので、常識を覆すようなことを提案するには、やっぱり勇気が要りましたね。
考えてみると、世の中、いろんな贈り物がありますが、贈る方ももらう方も日ごろの感謝の気持ちのこもった心からの贈り物は人間関係をさらに深める良い風習だと思います。しかし、利害が絡んだものや公私混同はいけません。特に、政治家、公務員、企業でも上に立つものは、おでえかんさま(お代官様)と越後屋のように饅頭の下の小判を見ながら、「そちも悪よのお。」「おでいかん様こそ・・・」「フッフッフッフ・・」などと言う下心のある贈り物はナシにしてほしいものですね。
(もう一言)
ニッセン時代に一時期グループ会社として、頑張ってもらっていたシャディと言う会社があります。ギフト業界の草分け的な立派な会社でしたが、そのシャディのテレビCMに、アメリカの小説家オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」と言う短編がありました。内容は、貧しいが仲の良い夫婦がいました。お互いにクリスマスを祝うためにプレゼントをしたいと思っていますが、なにぶん二人とも貧しくお金がありません。いろいろ考えた挙句、妻は夫が一番大事にしているおじいさんの形見の金時計に合う金の鎖を買おうと、膝まで伸ばしてきた美しい髪をバッサリ切って、お金にします。夫は、妻の美しい髪を梳(と)くための鼈甲(べっこう)の櫛が欲しくて、一番大事にしてきた金時計を売りました。そうして、クリスマスの日にプレゼントを交換した夫婦は、互いの姿とプレゼントを見て驚きます。二人が買ったものは、結局、双方とも役には立たず、一瞬がっかりします。ただ、二人は、物としては役に立ちませんでしたが、お互いを思う「心」と言うかけがえのないプレゼントをもらい幸せを噛みしめました。と言った内容でした。なかなか、いいですね。贈り物はこうでなくちゃいけません。では、次回は20日ころに更新する予定です。