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今年の米アカデミー賞の有力候補は、アメリカの物理学者オッペンハイマーの生涯を描いた作品だそうです。第二次世界大戦時に各国で、その開発を競ったのが原子核に中性子をぶつけて、核分裂を起こさせ強大なエネルギーを生み出す原子爆弾ですが、その国家プロジェクトのリーダーが、オッペンハイマーでした。したがって、オッペンハイマーのことを”原爆の父”などと称し、ある人は「彼は戦争を終わらせた英雄だ。」と言い、別の人は「原爆を作った悪魔だ。」と評します。
私は、個人的にこの人のことを考えたとき、単に技術を進歩させた普通の人間であり、悪魔などと言ってオッペンハイマーに原爆被害の責任を押しつけるのは、間違いではないかと思ってます。と言うのも、彼らは作った人ではありますが、使った人ではないからです。今現在でも世界中で紛争が起こっています。イスラエルがガザ地区の無防備な人たちにロケット弾を撃ち込んで、一般の女性や子供が亡くなったからと言って、「ロケット弾を発明した人が悪い。」とか、ロシアの戦車が市民を殺したとしても「戦車を開発した人が悪い。」などとは思いません。原爆でも同じで、作った(発明した)のはオッペンハイマーでも使ったのは、違う人だからです。
1945年8月初めに、果たしてアメリカは日本に原爆を使う必要があったのか? 当時は5月にドイツが降伏し、日本も本土空襲が激しく、ほとんど抵抗する力は残っていませんでした。実際にアメリカ軍の内部でも7月には、天皇制存続を条件にすれば、日本はすぐにでも降伏する、と分析されており、また日本からも7月12日には、ソ連にあてて和平交渉を仲介してもらう要望が伝えられていたそうです。つまり、その段階で戦争を終結させることは可能だったのです。
にもかかわらず、当時の国務長官バーンズと4月に急遽大統領になったトルーマンは、戦後の世界での主導権を握りたい、そして、ソ連をけん制し、国力を誇示するために何の罪もない日本の民間人20万人以上を殺したのです。原爆投下には、米軍内で反対の意見も多く、そんなことしなくても日本は降伏するから、と言う話を頑として聞かず、他の意見を押し切って原爆使用に踏み切ったことを考えると、悪魔はトルーマン、そして、それを強く勧めたバーンズだと思いますが、トルーマンのアメリカでの評価は、「戦争を早く終結させた立派な大統領」だそうです。戦後何年か経って「あのまま戦争を続けていたら、アメリカの若者がもっと多く犠牲になったでしょう。だから原爆は必要だったのです。」などと平気な顔で演説を行い、その後、それが定説となるように世論を巧みに操作した結果の評価でしょうが、真実が一つ一つ分かってくると、立派な、、どころか、原爆を無理やり使う必要は全くなかったのに、20万人もの犠牲を出して、己の立場、国家のエゴを通した犯罪人としか思えません。
オッペンハイマーが、1960年に日本に来た時に「あなたは、原爆を作ったことを後悔していないか?」と問われ、「後悔はしていない。ただ、申し訳ないと思っていないわけではない。」と言った感想や、戦後、トルーマンと会談した時に「自分の手は血塗られているような気がする。」と話したように、多少なりとも人間として罪の意識を持ちながら後年を過ごした人間オッペンハイマーに比べ、「自分の手は血塗られて・・・。」と言う言葉を聞いて、「あいつは、泣き虫だ。もう二度と連れてくるな。」と言い放った悪魔トルーマン。
原爆を使う必要が本当にあったのか、という真実は、今後も広く公開して世界の人たちが、どう思うか考えてみてもらいたいですね。武器はもとより、AIも他の発明機器もすべての道具が、開発した人より、それをどう使うかの方に、より倫理観を求められるのは、至極当然のことです。これからも世界の為政者が、うかつな使い方をしないことを祈るばかりです。
(あとがき)
文中でトルーマンを”犯罪人”と書きましたが、No.202「敗戦の日」でも書いたように、70年以上も前の東京裁判における石原莞爾の一言、「一番の戦争犯罪人はトルーマンである。」は、まさにその通りだと思いますね。