「42」  No.209

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今から51年前の1972年10月24日に”世界を変えた”(注)と言われた男が亡くなりました。名前は、ジャッキー・ロビンソン、アメリカ大リーグ初の黒人選手です。1947年4月15日にマイナー経験を経て、当時のブルックリンドジャースに入団、初めての黒人大リーガーの誕生でした。

当時のアメリカ社会は、まだまだ多くの黒人差別があり、同じレストランやホテルには入れない、トイレも白人・黒人は別々、学校や病院も分けられており黒人を”隔離”することが法律で決められていた時代です。この法律(ジムクロウ法)は1964年の公民権法により法的には隔離は禁止になりますが、その後も現在まで続く人種差別の根本にある思想として残っています。

そんな時代に、たった一人の黒人大リーガーとして登場したジャッキーロビンソンは当然のように逆風にさらされます。相手チームは、「黒人のいるチームとは試合をしない。」同僚たちも「黒人とプレイするなら他チームに行く。」遠征先のホテルも黒人のいるチームには、「チーム全員部屋は貸さない。」等々。このようなことを想定しながら、ジャッキーを雇ったドジャースのオーナー、ブランチ・リッキーは、ジャッキーに「いろんな妨害やひどいヤジなどが待っているが、我慢するように。」と言います。元々、差別には敢然と抗議するタイプのジャッキーは、「やり返す勇気もないような人間になれという事ですか?」と詰めよりますが、その時にオーナーは、有名な一言を吐きます。「違う、やり返さない勇気を持つんだ!

その後、リーグが始まると前述のような多くの妨害、そして試合中も故意のデッドボールひどいヤジが飛んできます。そんな中でも実績を残し続けると、まず同僚たちがジャッキーを助けるようになり、社会全体のジャッキーを見る目が変わってきます。その後も活躍をし続け、1956年まで活躍し、1962年には野球殿堂入りを果たします。そして、1997年にはアメリカ大リーグの全球団で「42」が永久欠番になり、2004年4月15日は”ジャッキー・ロビンソンデー”とし、2009年の4月15日には、全てのチームの選手・監督・審判が背番号「42」をつけてプレイするようになりました。(写真)

このサクセスストーリーの登場人物は、もちろん主人公のジャッキー・ロビンソン、そして本人にもまして重要な役割を演じたのは、彼を抜擢したドジャースのオーナー、ブランチ・リッキーでしょう。主人公の「やり返さない勇気」実行する強い意志と、それを後押しし、やりやすいように難敵たちを排除した理解のある実力者献身的な努力、この二つが世の中を変えていきました。

振り返って現在、世界中で悲惨な紛争が起きています。これらの紛争でも一番大事なのは、当事者たちの「やり返さない勇気」と、それを後押しし、それができる条件を整える実力者(大国)の存在ではないでしょうか?

 (あとがき)

今年も大谷翔平選手が活躍しましたが、考えてみたら、ジャッキー・ロビンソンがいなければ、大谷選手の活躍もないでしょうし、他のプロスポーツでも有色人種の活躍が限られているかもしれません。人種差別なんて昔の話と思うかもしれませんが、アメリカで異人種(白人と黒人等)が結婚できるようになったのは、たかだか50何年か前です。この問題は間違いなく現在も続く根の深い問題ですね。

 (注:ジャッキー・ロビンソンの活躍を描いた映画の題名が「42~世界を変えた男」です。)

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