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今から100年前の9月1日、死者10万を超える大災害、関東大震災が起こりました。その後、この100年の間に阪神大震災(死者約6400人)、東日本大震災(死者約22300人)そして、関東大震災の前は、1896年の明治三陸地震(死者約22000人)と、この日本では平均すると30年に1回の割合で大規模地震が起こっていることになります。
タイトルの「災害は忘れたころにやってくる。」とは物理学者の寺田寅彦が言った言葉らしいですが、的を得た言葉だと感じます。人間、どうしても”慣れる”ことで社会生活を効率よく行おうとする動きが脳にプログラムされているようで、イレギュラーなことは、記憶の片隅に押しやって、普段の生活に必要なことから優先的にこなしていくようです。従って、災害に限らず、ついつい横着をして、「まあ、行けるやろ。」と強引にことを進めて失敗したり(先日、一旦停止違反で捕まりました。)何かが起こってから、「あ~あ、そうやった。しまった。」と後悔することが多々あります。それは、言葉では「注意しなけらばならない。」と理解していても「まあ、今日ではないやろ。」と現実感がないからです。
例えば、昔、通販カタログのコピーの間違いなどを校正する仕事もしていましたが、何も考えずにただ間違い探しをすると、なかなか見つかりません。ところが、「必ず間違いがある。」と思って校正をすると、結構見つかることもあり、心構えが大事なんだと感じたものでした。
災害の話に戻りますが、30年に一度来る大地震にどう対応するか、まさか毎日、「今日来るはず。」などと構えていては生活ができませんが、いつ来てもおかしくないという危機感は持たねばなりません。そのために年に1~2回訓練をしてみてはどうでしょうか?訓練と言っても本番に即した形で行う。例えば、毎年3月と9月のある日(日程は公表しない。)突然、停電が起こり交通機関が全て止まる。さらに津波警報が鳴り、避難すべき地域の人は避難場所に移動する。また、オフィスで働いている人たちも停電になった状態で、すぐにビルを出て安全なところに避難する。つまり、必要なところは除いて、できるだけ多くを大地震が来た時と同じ状態にして、多くの人たちが種々の経験を積む、時間は1~2時間だけとかに限定して大災害時に何をせねばならないかを毎年、経験しておけば、いざと言う時に大きく役に立つのではないでしょうか。その間、多少の混乱があると思いますが、本当に大地震が来れば、その何百倍何千倍もの混乱と実被害が出るわけで、多少のことは仕方ないと割り切ればいいと思います。
人間、いざと言う時に役に立つのは、経験したことだけです。頭で理解していても実際に経験しておかないと、実際に起こった時には、右往左往するだけで、ほとんど役に立たないと思います。事実、NHKあまちゃんの舞台になった岩手県の洋野(ひろの)町では、東日本大震災時の被害は人口16000人に対し死者は、なんと0でした。その理由は、誰が何をするという役割を明確にし、起こった場合のシュミレーションを行う、そして具体的な避難訓練や日ごろから一人暮らしのお年寄りへの声掛け、などなど地震、津波が起こる前提で町ぐるみで準備をしていたことでした。東北各県沿岸部の町では、洋野町だけが死者0でした。
そう言えば、もう何年も前から東日本大震災を上回る規模の”南海トラフ”大地震が来ると言われています。しかも、その時期は2035年前後と具体的な年を言う学者もいます。地震が起こる時間軸の中では、10年くらいは誤差の範囲です。つまり、明日大地震が来るかもしれないし、今日、たった今、起こるかも知れません。そろそろ、12年前の東北のことも忘れそうになっている今日この頃、「災害は忘れたころにやってくる!」の言葉をかみしめてみませんか?
(あとがき)
文中で「いざと言う時に役に立つのは、経験したことだけ。」と書きましたが、実際にそう感じたことが何回かあります。その中の一つですが、今まで2~3回、道の真ん中で何かの段差にけつまずいて、前のめりにこけたことがあります。(年を取ると少しの段差にもつまづくのです。)小走りでつまづくので、前方に大きくつんのめって頭から地面に落ちそうになるのですが、体が覚えているのでしょうねえ、すっと右肩が前に出て、受け身をしながら、くるっと回転して事なきを得ました。これなどは、昔柔道をしている時、何千回何万回と受け身をしてきたので、考える前にとっさに出る例ですが、災害に関わらず、何か事が起こった時に体が覚えているくらいに経験していれば、さぞや被害も少なくなることでしょう。