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本日、6月30日は一年のちょうど半分で「ハーフタームデー」と言われ、正月に立てた今年一年の目標がどの程度達成されたかを確かめる機会になっているそうです。日本でも全国各地で半年間の心身の汚れや厄災を祓い清め、無病息災を祈願する「夏越のはらえ」(なごしのはらえ)と言う神事が行われます。写真は「茅の輪」(ちのわ)と言って、その「夏越のはらえ」に使うものです。茅(かや)などで作られた輪を通るときに呪文を唱え神様にお願いするのですが、京都では結構多くの神社でこの茅の輪を飾ってるようです。(写真は大原野神社の茅の輪)
さて、皆さんの今年前半はどうでしたか? 世の中は相変わらずコロナで騒々しく、茅の輪をくぐっただけでは、コロナの厄災はすぐには晴れそうにないですね。緊急事態宣言で減少してきた感染者も、最近は特に東京の新規感染者がジワジワと増加傾向に反転し、また爆発するのではないかと心配です。
たまたま今月半ばに東京に行ったのですが、”東京は増えるぞ!”と実感して帰ってきたら、その通りになっています。何かと言うと、平日の夜9時過ぎ、仕事からホテルに帰るときに新橋の街の中を抜けて歩いていたところ、その時間に居酒屋が何軒か空いており、どこも若い人たちで一杯です。横目で見ながら中を確認すると、仕切りなど無いようでマスクもしている人は少ないようでした。たぶん、普通の時なら閑古鳥が鳴いているような何の変哲もない普通の居酒屋でしょうが、あふれんばかりに入っている店がほとんどです。「アルコールを出さないように!」との都や国の指導を無視して、アルコールは出すわ閉店時間は気にしないわ、やり放題の店が何軒もあるのです。これでは、何のための緊急事態か?これでは感染者が減るはずないと感じました。この状態を見る限り、みんなが我慢している中、火事場泥棒のような店が横行することで、正直者がバカを見るような世の中に成り下がっています。 私も酒は好きな方なので、ついついふらっと吸い込まれそうになりましたが、火事場泥棒に手を貸すことはやめようと思いなおし、コンビニで缶ビールとつまみを買ってホテルでわびしく遅い夕食を取りました。
東日本大震災の時に整然と列に並んで食料品を受け取る姿、それだけでなく自分が困っていても他の人を優先してください、という思いやりの心など見ていると、とかく己(おのれ)さえ良ければ他はどうでも良いと言う風潮は日本では縁遠いものと思っていましたが、いつの間にか目の前にはびこっていました。己さえ良ければ、と言うと若い官僚の給付金詐欺事件も、とんでもないの一言です。せっかく東大も出て、キャリア官僚にまでなったのに、このようなことでは何のための学問か、また、そのようなことが起こるようでは日本の行く末も案じられます。
ではなぜこんなことが起こるのか、その要因の一つは道徳教育にあると思います。武士道で新渡戸稲造は、義は武士の掟の中で最も厳格な項目であるとし、真木和泉守と言う幕末の武士の言葉を借りて、「義とは人の体に例えれば骨である。骨が無ければ首も手足も動かない。だから人は才能や学問があったとしても義が無ければ武士(人)ではない。義さえあれば社交の才など取るに足りない。」と義(正義)の重要さを説いています。この考えを小さなころから徹底して教え込み、日本国民の心としての判断基準を養えば、今さえ良ければ自分さえ良ければ、と言うさもしい心は減るのではないでしょうか。1+1を教えるのももちろん大事ですが、もっと多くの時間を道徳に割いて、みんなが白いものは白と考え、黒いものは黒と判断する。正しいことは正しい、間違ったことは間違い、と普通の判断ができる人間を増やすことの方がどれだけ国のため、また人のためになるか、考えればわかりそうなものです。
などと、偉そうなことを言ってる私ですが、実際目の前に赤い提灯が並んだ居酒屋が出現してみると、思わず一二歩、歩みを進め「入ろうかなあ、どうしようかなあ?」と誘惑に負けそうになり、通り過ぎて、また戻って、と何回か行ったり来たりしながら何軒もの誘惑と闘ったのも事実で、開いてたら入る人の気持ちも分からんではありません。自分自身まだまだで大したことはないなあと、つくづく思う今日この頃です。まあ、そんなこんなで2021年半年の節目であるハーフタームデーに気持ちだけでも茅の輪をくぐり、もう一度、清く正しく生きるべく、自分自身も反省しなおしてみたいと思います。