ノブレスオブリージュ No.97

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最近、なぜかノブレスオブリージュと言う言葉が浮かんで口にすることがあります。

ノブレスオブリージュとは、もともとフランスで貴族などの高い地位にある人は、社会に対して、それなりの義務を負わねばならない、という意味で使われ始めました。騎士道の精神を表す言葉で、日本でも武士道の精神にある「弱きを助け、強きをくじく」、仁の心をもって道理を貫くことに通ずる考えです。

そして、これは何も貴族だけに使うのではなくはなく、高い地位にある人(企業や自治体、政府機関等で高い地位を得た人)事業で成功し金銭的に余裕のある人など、今の自分があるのは、己(おのれ)の力だけではなく自分を取り巻く社会のおかげである、だから社会に対してお返しをする、という論理です。

では、貴族に匹敵する高い地位の人や何かの成功者だけが、そう考えればいいのでしょうか? 私は普通の人であっても、このノブレスオブリージュと言う精神を持たなくてはいけないんじゃないかと思います。例えば、そんなにお金持ちでなくとも、自分より貧しくて困っている人には、できる範囲の援助をするとか、自分より経験が少ない人には、失敗しないようにアドバイスしてあげるとか、何か困っている人の話を聞いてあげる、泣きたいように辛い人には少し寄り添ってあげる等々。貴族や武士や、また高い地位や成功者でなく、普通の人が、できる事もたくさんあります。すべての人が、常にそのように考えて、多少お節介であっても周りを気にしてあげれば、世の中ずいぶん幸せが増えるなあと思います。

でも、よくよく考えたら、これは、いわゆる「人情」と言う言葉そのもので、昔、私が小さいころにはそこら中にあったように思います。忙しい時には近所の人が子供の世話をしてあげて、こんなものが手に入ったと食べ物のおすそ分けをしてくれる、近くのテレビがある家にはテレビのない家庭の子供たちが集まってみんなで見るなど、それぞれが貧しいなりに助け合ってかばいあって生きていました。

そして、誰もが見返りを期待しない、そこが大事なところだと思います。せっかく良いことをしても、後から「〇〇してやったのに・・」とか、「あの時、おごってやったのに・・・」などと自分がしたことに対価を求めては、やった意味がなくなります。あくまでも自分の義務として相手が喜ぶことをする。対価は相手が喜んだ、そのことだけでも充分ですし、喜んだ人が、それを覚えていて、また周りの誰かに良いことをしてあげる、そうしてノブレスオブリージュの輪が広がれば、大いにうれしいことではないでしょうか。

この間、テレビで比叡山延暦寺の話が放映されていました。その中で天台宗の開祖最澄が「一隅を照らす」と言って、日の当たらない誰もが見ていないようなところでも自分にできる”世のため人のため”をやることが大事だ。と説いてます。今、人情が薄くなり、昔の当り前が特別なことになってきた現代においては、小さく力もない本当にちっぽけな一市民であっても、心は高貴に”ノブレスオブリージュ”、そんな気持ちで生きていきていけば、自分自身も幸せになるように思います。情けは人の為ならず、と言いますが、人のためじゃなく、最後には回りまわって自分に返ってくる、でもそんなことを期待せず、微力ながら人の役に立つ人間になりたいですね。

 

 

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