司馬遼太郎と乃木希典 No.53

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まあ、毎日暑い日が続いていますが、みなさん熱中症は大丈夫ですか?。こんな時は、わざわざ炎天下でゴルフに行ったり、人でごった返す観光地や街の中などには行かずに、涼しい冷房の効いた部屋で読書でもするのが一番ではないかと思い、少し本の話をしたいと思います。

今日のタイトルは、「司馬遼太郎と乃木希典」、皆さんご存知の司馬遼太郎は、今から96年前の一昨日、つまり1923年8月7日に生まれました。1996年に72歳で亡くなるまで、国民に愛される偉大な作家として、本当に面白い本をたくさん世に出しています。私も「国盗り物語」や「新書太閤記」等々、食い入るように読んだ覚えがあります。ただ、この偉大な作家に対して申し訳ないですが、次の2点だけは、ちょっと文句を言いたいですね。

まず、1点目、坂本龍馬のことを「竜馬が行く」でヒーローとして書きすぎだと思います。坂本龍馬が西郷や大久保、その他の幕末から維新の偉人と同じように扱われていますが、薩長同盟に果たした役割も、そんなに大きくはなく単なる使い走り程度ではないかと言うことが、最近わかってきたそうで教科書からも名前がなくなりそうだと聞きました。また活動は、自分の金もうけが一番で、小さな藩(大洲藩)から船を借りて貿易をしていると、その船が紀州藩の船とぶつかり沈没、その際には、実際の積み荷の何倍もの賠償金を紀州藩に吹っ掛け、あらゆる手を使って分捕る。しかも、船を借りていた大洲藩には、保証も何もしない。こんな人間が、ヒーローのはずがないと思っているので、その竜馬を幕末のヒーローに仕立て上げたことは、?マークがいくつもつくような疑問です。

2点目は、タイトルにある乃木希典を司馬遼太郎は、無能なリーダーと決めつけていることです。乃木希典は、明治時代の軍人で日清、日露戦争で活躍しました。その乃木希典を有名にした日露戦争において、1904年、司馬遼太郎の誕生日と同じ8月7日、最大の激戦地、旅順において第一回目の総攻撃を開始しました。司馬遼太郎は、この時の乃木希典の取った作戦が無能だとして「坂の上の雲」や「殉死」などでは、どうしようもなくなって、同僚に児玉源太郎と言う人がいるのですが、その人が出てきて事態を収拾した、と、乃木はダメ、児玉はヒーローとして扱っています。実際には司馬の見解には無理や誤解も多く、乃木希典は立派なリーダーであったと多くの人が立証しています。私は、北九州の出身で子供のころ、乃木希典の故郷である山口県調布市にある「乃木神社」などにも何回か行ったことがありますし、日露戦争の英雄は海では日本海海戦の東郷平八郎と陸では旅順攻略の乃木希典と聞いていました。また、その戦争で息子を二人とも亡くし、明治天皇の死に際しその後を追って殉死するまで、戦死した人たちの責任は自分にあると言い続けてきた乃木に対する、司馬の批判は、あまり心地よくありません。

乃木希典の評価を高めるエピソードは、戦い方のみならず、勝利を収めた後の敵将に対する態度や相手国の国民に対する接し方にあります。日露戦争では、勝利した後の敵兵との会談などでは、戦いはしたが敵国軍人個人に対しては、憎悪するのではなく礼を持って接し、相手の誇りも考慮する、振る舞いで世界から賞賛を受けました。それから、初代台湾総督であった時には、台湾国民に対する教育を推し進め、日本人の台湾人に対する凌辱や取引の不正は、厳にこれを戒め、現地の人を行政官に採用するなど、台湾にとって良い事を実践した人でもありました。私は、40年前に初めて台湾に行ったときに、現地の人からもそんな話を聞いたことがあります。台湾の人に親日家が多いのは、乃木希典のおかげもあるのかもしれません。また、乃木希典は、質素な生活を送り、自分の財産や入ってきたお金は、全て戦いで傷ついた人たちの病院に寄付していました。子供をすべて戦地で亡くしたので、養子を進められても拒否し、これだけたくさんの人を死なせた乃木家は、自分だけで断絶させる。と言っていたそうです。そんな乃木希典は、当時大変な人気だったらしく、詩や講談にも取り上げられたり、いろんなところで名前が使われたりしたそうです。例えば、東京の乃木坂は乃木希典の名前を取って命名したそうですが、乃木坂46のメンバーは知ってるのかな?

 「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。」

人の価値とは、生きてる時だけでなく、後世に誰がどのような評価をするか、そして、それを聞いてどのように思い、どのような影響力を現在の人たちに与えるか、それらを総合したものが人の価値なのでしょうね。だから時代時代によって、人の価値は変わるのですね。(ちなみに坂本龍馬の評価は、1962年の「竜馬が行く」発行以前と以後とでは、大きく異なるそうです。)その変わっていく時代の中でも、いろんな意見を堂々と言える今の時代は、本当に良い時代だと思います。司馬遼太郎や坂本龍馬のファンの皆さん、勝手なことを言ってすみませんね。

 坂本龍馬は、志半ばで刺客に倒れ、乃木希典は割腹して、妻の静子は胸に短刀を突き立てて、明治天皇に殉死。それぞれ英雄や偉人と言っても悲劇の人に変わりはありません。凡人で本当に良かったなあ、とクーラーの効いた部屋の中で思う今日この頃です。

 (あとがき)

今回のブログは、見る人によっては、何を言ってるのか? おもしろくない、腹立たしい!と思われたでしょうね。まあ、これからも、自分の勝手な意見でブログを書き続けようと思いますので、見る人は覚悟しといてください。

 

 

 

 

 

 

 

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