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「マズローの欲求5段階説」は、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが提唱した理論で、人間は、低次元の欲求が満たされて初めて次の段階の欲求に移る、と言うものです。この理論が提唱されたのは、1900年代の半ばですが、
東洋には2000年ほど前から「衣食足りて礼節を知る」と言う言葉が菅子と言う書物にありました。
西洋人よ、今頃気づいたか!と、自分が書いたように偉そうにするのは横に置いといて、このマズローの欲求説は人間だけでなく企業にも当てはまると思っています。企業も創業時から数年や苦境の時は、生き残れるかどうか、その時その時、何とかつぶれないようにがんばり、その後ようやく、少し先のことを見据えた安定経営を考えることができます。さらに社会の中で自分たちの立ち位置を考え、孤立しないように周りと歩調を合わせ、世のため人のためになる企業へと成長する、そして最後に他に真似のできない独自のビジネススタイルを築きたい、と変わって行くものだと思います。
例えば、生きるか死ぬかの状態の時に悠長に社会貢献だと寄附をして、それが原因でつぶれては何もなりません。逆に、生きるか死ぬかはとうに通り越し、ある程度安定もしている会社が、いつまでも自分さえ良ければ、社会貢献や周りのための施策はする必要がない、と言うのも企業の存在価値を下げることになります。私が助言やサポートをするときには、今置かれている状況はどの段階で何が一番重要かを考えるようにしています。
”企業が生きるか死ぬか”と言うと、こんなエピソードを思い出します。1990年代の半ば、極端な成長のひずみからニッセンは、一時苦境に立たされたことがありました。その時に赤字で社員のボーナスも出せないと言う中、やむを得ず大人のおもちゃやアダルトビデオの販売と言う禁じ手を提案したことがありました。これは絶対に儲かるけれど社会的な評価は一時的に落ちるものです。その時の役員会では、ほとんどの方が大反対、口々に「君は何を考えてるのか。」「上場企業としてやるべきことか。」・・しばらく反対意見や私の認識についての批判があり、「ああ、やっぱりな、難しいなあ。」と思いながら聞いていました。その時、それまでずっと、黙って聞いてた川島社長(創業者で当時の社長:3月21日のブログ「新吾のステーキ」参照)が、一言「君らは他に代替え案があるのか!」と、場を制する毅然とした声で発言されました。場はシーンと静まり返り、そのあとに「代わりの案がないなら文句を言うな、佐村君やれ!」それで会議は終わり、やることが決定しました。
ところが、会議が終わった数時間後に川島社長から社長室に来い、と電話があり、急いで行ってみると当時のメインバンクの役員の方が数人同席していました。その銀行出身の役員の方がニッセンにおられたので、電話で聞いてすぐに飛んでこられたようです。役員会と同じように数人の方から、「上場企業ともあろう会社が・・・・」「こんな恥ずかしいものをよく平気で・・・」「メインバンクとしては、賛成できまへん。・・・」とさんざん批判されていたのを聞きながら「やっぱり無理やった。」と観念していた時に川島社長がボソッと一言、「言うことはそれだけか?」さらに銀行の役員の方に語気を強めて一言「あんた、エッチしたことないのか!」相手は、ウッと返答に困っていると「人間の本能を手助けして何が悪い!」「あんたもエッチくらい、したことあるやろ。」その言葉に「いや・・・」「あの・・・」「まあ・・・」と要領の得ない返答に終始し、結局、いそいそと帰られました。
結果的にこの企画は成功し、年末の社員のボーナス分くらいを稼ぐことができました。それにしても、その時の川島社長の生きるためなら泥水をすすっても生きて行く、という執念には、すごい人やなあと感動しました。生きるか死ぬかの時に、恥も外聞もない、ただ純粋に生きることのみに専念する。企業は、まずそこから始まるのでしょうね。
これには後日談があります。その後1~2年で業績も上向き、利益も出るようになった時に川島社長からよばれて一言、「佐村君、もういいやろ。」もちろんアダルト関連の企画だと分かったので、「わかりました。次回からやめるようにします。」「うんっ、それでいい。」その後、私がいる間、ニッセンではその企画は封じてきました。
川島社長が無くなられて18年、毎年命日にはお墓参りしていましたが、今年は出張と重なりどうしても行けませんでした。
7月になって月命日の日にでも、またお線香をあげに行こうと思います。川島社長は今でも時々夢の中でお会いしていますが、ほとんどが叱られている場面です。このまま向こうの世界に行くと、また叱られそうなので、
しばらくは行くのを控えておこうと思います・・・・・。